Kaenguma's Report

現在浜松という市に住んでいます。浜松町じゃありません。 うなぎとか、お茶とか、うなぎパイとかが有名な土地です。 ブログの方向性 雑多な内容を雑多に記載していく予定です。 どちらかと言えば忘備録的なものにしていこうと思っています。 これまでやっていたブログの続きで書いていこうと考えています。

カテゴリ:小山正信軍医長の手紙

小山正信氏の手紙14通目 昭和20年(1945年)3月11日の手紙     三月二十二日夜 出産の方はどうかネ。二月十七日の幸枝の手紙を受け取って以来 全々来ないのでわからない。 ○の機動部隊が大分空襲したようだが元気かネ。 硫黄島の善意壮烈な戦死の報が新聞に出 ...

小山正信氏の手紙13通目 昭和20年(1945年)3月11日の手紙     毎日元気な日を送つてゐる。 お産は来たかネ。産後は身体を充分気を付けないと今頃の栄養で は身体が悪くなるヨ。 別に當地は変わった事もなく元気な日を送つているだけだ。 部下の軍医大尉 ...

小山正信氏の手紙12通目 昭和20年(1945年)3月3日の手紙   三月三日 先日は驚かせて失敬した。実際當方面に敵来襲必然的なものだつたので これが最後と言ふので皆で最後訣別したが敵は硫黄島に来襲した。 先日は最後の便船と言ふので皆な悲壮な決意して待機 ...

小山正信氏の手紙11通目 昭和20年(1945年)2月22日の手紙 愈々最後の訣別の辞を送ることになつた。 別に申残す事はない。 母子共に元気に暮して行く様熱望する のみだ。 府中の父母に宜ろしく御博言を頼む。 ご健康を祈る。 正信 幸枝殿   最後と思った時に ...

小山正信氏の手紙10通目 昭和20年(1945年)2月10日の手紙   二月十日 明日は紀元節だ。之の数日は当地も○(真?)に寒くなり火鉢に火を入れる やうになつた。カンヅメの空罐を火鉢にして、代用してゐる。 今日は航便があったので、第4回目の木箱二個送つて置い ...

小山正信氏の手紙9つ目 昭和20年(1945年)2月6日の手紙 二月六日夜半 お産はどうだったかナ。安産で母子健全であるやうに祈ってゐる。 男でも女でも良いから元気な子が出来るやうに祈ってゐる。 フ比島の「マニラ」も最後の決戦段階に入ったやうだ。一段落着けば ...

小山正信氏の手紙8つ目 昭和20年(1945年)2月2日の手紙 二月二日 早くも二月に入った。内地は酷寒の頃と思ふ。お産も近づいて多忙だらふ。 當地は秋から春に移りつつある。櫻の花も今は滿(満)開だ。 當地の櫻は赤が濃く梅に似てゐる。昨日は○○(文中も○○と記載 ...

小山正信氏の手紙7つ目 昭和20年(1945年)1月26日の手紙 一月二十六日 一月も終わりに近づき内地は大変寒いことと思ふ。手紙に依れば恵美子 十二月終わりからポツ/\(ポツポツ)あいてゐるとの事で面も元気に片言を言ってゐ るとの事可愛い事と思ふ。 小生 ...

小山正信氏の手紙6つ目 昭和20年(1945年)1月13日の手紙。元旦から僅か12日後である。 一月十三日 今日は久し振りの船の入港があり、十二月二十七日の手紙を受け取った。 恵美子も三才になりヨチ/\(ヨチヨチ)歩いてゐるとの事 ...

小山正信氏の手紙5つ目 昭和20年(1945年)元旦の手紙。手紙3から1年5ヶ月程後である。 一月元旦 新年おめでとう。母子共に御健全の事と思ふ。今日は遥拝式後は乏しいなが らも酒で祝った。朝は冷酒ですっかり ...

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